人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ちーの気ままな日常


by chisazn

相談するということ。されるということ。

裏演のお二人に倣って、私も思うところをば。

相談されるのは結構スキ。信頼されてる感がね。それに普段は知らない深い考えを聞けたりする。そいういう深いとこにその人の本質があったりしてさ。
ただ、親身になって答えてあげられるかというと、そうでもない。いや、誠実に答えるよ。ちゃんと考える。でも、あくまで「自分」がそこにある。
相手の弱さをひっくるめた答えができない。
自分が同じ問題に直面したらどうするか。どういう道があると思うか。答えられてもその辺だ。その人が抱えている全てを考慮することなんてできない。
でも、そういうものだとも思う。
だからあんまり相談されないのかなぁ。
あと、自分が説明下手なのもあるか。自分の気持ちや考えを上手く説明できない。ってか、自分の心自体が渦巻いてるんじゃないかと。たまにハッキリした考えもあるんだけど。
加えて、相手の欲しがってる言葉をなかなか見つけてあげられない。こういうところが人の気持ちに疎いってことなんだろうな。

「相談できる相手は内容によって変わる」ってのが持論だったりする。
何から何まで相談できる相手なんてどこにもいない。
それぞれの場所における様々な自分の立場を全部わかる人なんていない。
仕事のことは学生に話してもきっとわかってもらえない。
旦那の悩みは彼女になったことすらない私にはきっとわからない。
仕事を辞めようかどうしようかって時に、境遇を何も知らない人に一から説明できない私はどうしても同僚に頼らざるを得ない。
そんな風に、個々の悩みには個別の相手がいる、と私は思ってる。
でもこれって、私が欲しい答えを持ってる人にしか相談してないってことかも。
同じ傷を持たなければお互いのことは理解できない、というんじゃなくて、その人が受けた痛みはその人にしかわからない。確かに、傷ついたことがない人に傷の痛みはわからないけれど。
自分は相手じゃない。自分のことすらわからないことだらけなのに、相手のことがわかるはずもない。深ければ深いだけ、悩みの鎖はどこまでもこんがらがってる。それを把握することなんて到底できない。
それは当然のこと。
全てを把握しなければアドバイスなんて与えられない、なんて馬鹿げたことを言うつもりもないけれど。ただ、少しの痛みもわからないのに、解決策など浮かぶはずもない。それも私がうまく答えを出せない理由のひとつかもしれない。

とにかく。
好きな相手ならなんでも話を聞きたいと思う。
好きでもない相手なら時々は面倒だと思うと思う。
でも、深い話はそれだけ、興味深いと思う。
まぁ、悩みってホントに抱えてる時は誰にも話せなくって自分の中でざわざわしてて、考えが少しずつ少しずつまとまってきて初めて口に出せる、というか。だから相談の大半は聞いてもらうだけで心は結構軽くなるものだ。
・・・私があまり相談しないから、あまり相談されないのかもしれないなぁ。
by chisazn | 2006-06-13 23:59 | 雑記